20歳までに、映画館で自作アニメ映画を上映!

   自殺寸前で、家族も崩壊し、借金1000万を抱え、進学も断念しました。一度底まで堕ちた私が今、表現できることー。※ブログ移転しました

作者はどんな人?

 

 

 

当ブログにお越し頂き、ありがとうございます。

 

 

 

 

この記事では

 

「作者はどんな人?」ということで

 

本格的な制作に入る手前に

 

自己紹介をさせて頂きます。

 

ニコニコ動画にて、自伝漫画(2015~2017年ほど)も

 

描いてきましたので

 

そちらも併せてお読み頂けると

 

一層理解が深まるかと思います。

 

 ※少し過激です。

seiga.nicovideo.jp

 

目次

 

 

 

 

 

 ・簡単な自己紹介

 

氏名:鐘崎 裕太(※仮名です)

 

年齢:18歳(今年で19歳)

 

住所:愛知県の下の方

 

職業:今年から、航空機の製造業です。

 

ひとこと:軽度のどもりがあります。

     どもり症とは、緊張で噛む行為とは違って

     突発的に声が出なくなる障害?です。

     様々な要因はありますが、緊張している時に起こりやすいです。

 

 

今までのあらすじ

 

ブログトップの通り、底辺高校に進学してしまった結果

 

地獄のような挫折を何度も経験し、身も心も枯れ果てた中

 

家族も崩壊し、それによって進学も断念しました。

 

今年から、複雑な思いで就職をすることになります。

 

絵に関しては、今まで漫画を少し描いてきた程度で

 

アニメーションは初挑戦です。

 

<まさにドロヌマ>親と世間話したコトが一度も無い。

 

家族は兄と、自分と母の3人家族です。

 

私が小さい頃に離婚して母子家庭となりました。

 

生まれて20年が経とうとしていますが

 

未だに、母と口が聞けません。

 

母はいつも、どこか心の一部をどこかに隠しているような

 

そんな感覚を、小さい頃の私も感じ取っていたようで

 

ずっと昔から、喧嘩をした訳でもないのに

 

疎遠の仲にありました。

 

兄は割りと、母と馬が合っていたようで

当時は仲が良かったと思います。

 

大学にも行けていて

順風満帆なようでした。

 

昔は、県営住宅に住んでいて

 

そこで大体小~中まで過ごしました。

 

母は頑張り者で、仕事から帰っては

 

料理や弁当を作ってくれました。

 

手作りの料理ばかりでは無かったですが

 

もちろん美味しかったです。

 

そんな母は、3年前、家を買いました。

 

マンションの12階、3LDKです。

 

展望もよく、3000万近くのローンのようでした。

 

 

 

「10年後もココに住みたいと思うか??」

 

 

 

母は、私と兄に、異口同音に口にしては

 

意志確認をしていました。

 

それはそうで、数年で出ていってしまうなら家なんて

 

買うものではありません。

 

数千万単位の買い物は恐らく人生で最も高い買い物でしょう。

 

これで、3人の心は歩み寄っていけるのだろうか。

きっとできるだろう。

 

そんな思いで、兄も私もなんとなく、あの質問に答えてしまいました。

 

「思う」

 

この選択が、後々崩壊への道標となることも知らずに。

 

 

 

マンションへの引っ越し後も結局

 

私はいつも、家で孤立していました。

 

朝起きても誰とも挨拶はせず

 

飯を食べる時も別々で、誰とも顔を合わせることが無い日々でした。

 

なぜだか申し訳なくて

 

3人で食卓を囲むことも次第に辛くなっていき

 

どんな顔で合えばいいのか分からず、行きたいのに

 

私の何かが邪魔をして、リビングに行くこともできません。

 

悲しくて布団の中で号泣することも多々ありました。

 

新しい家を買っても、お互いの心は一歩も近づくことなく

 

 

「もうめんどくさいわ。自分でつくれや」

 

 

次第に母は料理を作ることも無くなり、弁当も作ることも無くなりました。

 

3人で食卓を囲むことも無くなってしまいました。

 

「お母さんの弁当も作るよ」

 

私はこの一言すら言うことができないほど、母と私の間には

 

大きな亀裂、途方も無く大きな隙間が出来ていたのです。

 

さらに、母と話す時は高確率でどもってしまうので

 

相乗効果で、ホントに辛かったです。

 

母親に伝えるべきことも、伝えられない。

 

そんな自分が嫌いで、憎くて、情けなくて、自分で自分の顔を

 

思い切り殴った日もありました。

 

母は昔から気難しい性格で

 

仕事のストレスや離婚後の生活のストレスが災いしたのか

 

離婚した後は、笑うことすら恥じるようになってしまいました。

 

今年に入ってからは、ついに母と兄も疎遠となり(理由不明)

 

完全に家族はバラバラとなりました。

 

換気扇の乾いたノイズ。

 

缶ビールを開ける虚しい音。

 

今では、それだけが、広いリビングに

 

無機質に響くようになりました。

 

兄も帰らない日が多くなりました。

 

私はいつしか、食材を買って

 

自分で料理して、弁当作って

 

母親が帰るまでに食べる

 

ホントに虚しい生活になりました。

 

母は完全に引きこもってしまい

 

帰っても基本的に何も食べず

 

タバコとお酒でひたすら自分を保とうとしていました。

 

それでも保てない日は、壁を思い切り蹴って

 

ストレス発散をしているようでした。

 

空虚な毎日。

 

未だに私は、母と

 

世間話もできれなければ

 

「おはよう」「ただいま」「おやすみ」

 

こんな言葉も交わせません。

 

バイトや学校のストレスも襲ってきて

 

ひどく辛い毎日でした。

 

全てのストレスを溜め込んで、ガマンして

 

どこにいても、ずっと1人ぼっちでした。

 

バイトも、どもるせいで上手くいかない。

 

ストレスで次第に絵を描くことも楽しめなくなり

 

感情も個性も何もかも失いました。

 

壮絶な苦しみの中で私は、生きる意味を失くし

 

 

「もう死んだほうがマシだ」

 

そう思うことが多くなりました。

 

自殺しようとしたこともありました。

 

「家族ってなんだろう」

 

ひたすら分からなくなり、この家に来てから

 

嫌なことしか無かったように思えます。

 

 

結局、3年前よりもずっと、家族は離れてしまいました。

 

3年前、思い描いた理想はこんなものだったのでしょうか。

 

 

 

10年後もココに住みたいと思うか??

 

 

 

 

完全に、崩壊していました。10年もここにいたら、もう死ぬと。

 

なので私は、進学も全て諦め

 

就職することを決意しました。

 

ですがそれは、この約束を反故にして、1人暮らしすることを意味していました。

 

生きたいから、約束を破ってしまったのです。

 

18年間、一度も、まともな言葉を交わせたことはありませんでした。

 

簡単だろ。と、思う方もいると思いますが

 

私にとっては家族はもう、トラウマだと

 

そんな認識をするようになっていましました。

 

3年で出て行かれた母の気持ちは想像もできないですが

 

もう、この選択をしないと、生きることはできない。

 

自分に嘘をついて、どこかまだかまりを抱えたまま進学しても

 

本当に自由に生きることはできないと。

 

そんな思いで、苦渋の決断の仲、就職を決意しました。

 

悔しいとか悲しいとか虚しいとかそんな感情ではないのです。

 

ホントに苦渋の思いの中、決断しました。

 

 

「出ていきたいなら出て行け。」

 

 

母はそのような言葉を投げやりに放ちました。

 

 

 

 

正直もう、家族とは誰とも会いたくないです。

 

当時の、虫けらのようだった自分を思い出して

 

また蝕まれそうだからです。

 

 

ですが、そうはいきません。

 

私は約束を反故にしましたが

 

マンションのローンはまだ残っています。

 

売却しても、もちろん元を取れるわけ無いでしょう。

 

 

 

 

借金1000万

 

 

 

 

法的義務は無いですが

 

私は返さなければならない義務があると思います。

 

1000万では足りないかもしれません。

 

正直、お金という形でしか返せない自分に

 

憤りを感じますが、母が立ち直れるきっかけになればと思います。

 

 

「何でしゃべらんの?」

 

私は何度も母に聞かれました。

 

私にも分からないのです。

 

ですが、一言付け加えれば、話したくても話せない。

 

どもってしまうので、その恐怖心もあり

 

一言声をかけるだけで

 

胃がキリキリして、死ぬほど辛いのです。

 

学校からの連絡を母に伝えなければならない時など

 

本当に苦労した思い出があります。

 

声が出ない、という由々しきペナルティは、後々

 

私を地獄へと落としていきました。

 

 

結局やるせない形で、家族とはぐれてしまいました。

 

どもり症ということも災いして

 

私は母と、何も上手く話すことができません。 

 

ですがこれはまた、新たな自分との出会いであると

 

信じたいです。

 

これからは、新しい自分を受け入れ

 

いつかまた会う日があれば、全く違った自分になっていることを願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<1度目の挫折>底辺高校に入学が決定。2年生で絶望した話。

 

 

 

中学の頃は、人並みに勉強するほうで、学年順位は真ん中よし少し下。

 

最後の通知表の内申は27。

 

当時の私は平凡で、これといって野望も無かったので

 

内申29がボーダーの高校を第一志望に、受験勉強を始めました。

 

私は母と折り合いが悪かったので、母を頼れませんでした。

 

ホントは受験の相談を山ほどしたくて、塾などにも入りたかったのですが

 

全てガマンして、1人で背負こみ、受験勉強をしました。

 

過去問などはネットで出来る限りDLして、ネットを駆使して

 

本当に良く、頑張っていたと思います。

 

徹夜漬けの日も多々ありました。

 

母とは一度も相談をしませんでした。

 

そして、受験を終え

 

期待に胸を膨らませ、合格発表を見た結果

 

第一志望には落ち、第二には合格とのことでした。

 

当時はあまり悲観的にならず、もう第二に入れたならいいやと。

 

自暴自棄のような感じでした。

 

確かに残念でしたが、正直どこに入っても

 

最後は笑って卒業できるだろうと思っていたのです。

 

ですが、それは本当に大間違いで、軽率な考えでした。

 

入った高校は、内申点10代でも入れるような

 

底辺と呼ばれる学校で、正直、授業といえるような

 

授業はありませんでした。

 

1年生のクラスメイトは、今考えると、あまり良くありませんでした。

 

ですが、当時は積極的に話しかけ、ある程度友人もできかけていました。

 

Twitterなども教え合い、和気あいあいと過ごしていました。

 

友達は2,3人くらいしかできませんでしたが

 

あの時が高校生活では一番楽しかったです。

今考えると、この時期が唯一、高校生だと思えた時期でした。

 

苦手な人もいて

少しう~んということはありましたが、2、3年もあるし

 

次に期待しようと。

 

この時はまだ、高校生活に期待していたのです。

 

生徒会長もやってみたい!

 

文化祭の出し物もやってみたい! 

 

ワクワクしながら、生活をしていました。

 

 

 

2年生は情報コースという、情報関連の授業に

 

重きを置いたクラスに進学しました。

 

ですがそこのクラスメイトは

 

1年生の時、苦手だった男子が集まっていたのです。

 

男子は最初、全員で10人ほど。

 

女子は14人くらいで、総員22名くらいでした。

 

その上、情報クラスはクラス替えがありません。

 

すなわち

 

 

実質3年間同じクラス

 

 

2年生で失敗したら

 

3年は地獄ということです。

 

本当に絶望しました。

 

授業は1年生よりも、明らかにめちゃくちゃになり

 

誰一人、真面目に勉強する人はいません。

 

というのも、情報クラスは1クラスしかなく

 

とりあえず友達と一緒になりたい人が

 

情報の興味の有無に関わらず、入ってきたからです。

 

正直情報クラスでしたが、情報に興味のある人は

 

1人、2人くらいでした。

 

勉強もできなければ

楽しく友達と過ごすことも出来ない。

 

ひたすら、ガマンする毎日。

 

まさに動物園という感じでした。

 

もう何も感じませんでした。思考停止です。

 

もうこの時点で、これ以上友人は作れない。

 

私の高校生活は終わったと、感じたからです。

 

 

他のクラスがホントに、羨ましくて

 

もし、違うクラスだったら

 

・友達たくさんいたんじゃないか

 

・彼女はできたんだろうか

 

・もっと授業が楽しかったんじゃないか

 

そんな想像をせずにいられませんでした。

 

 

クラスの女子は、想像以上に壮絶にクラスを

 

破壊していきました。

 

もう何も思い出したくないですが

 

確実に、1年の時よりもさらにひどい

 

授業環境になりました。

 

誰一人やる気もなく、授業を滞らせ、掃除は誰一人まともにやらない。

 

様々な授業で、怒号が飛び交い、私は耳を塞ぎ

 

目を閉じて、現実から逃げるしかありませんでした。

 

なので私はいつもイヤホンで音楽を大音量で聞き

 

感覚を麻痺させて現実逃避をしていました。

 

教室掃除は誰もせず、みんな携帯を触っているだけ。

 

明らかに、まともに生活ができる環境ではありませんでした。

 

男子の人間関係も、1年生の、ぎこちないまま

 

どんどん離れていきました。

 

次第に、全員から煙たがられ

 

腸が煮えくり返るほど後悔しました。

 

私はもう、学校に期待することを辞めました。

 

 

完全に失敗した。

 

 

初めて感じる、大きな挫折でした。

 

 

 

 

<2度目の挫折>進学を諦めた。学校も辞めたくて死のうと思った話。

 

ひどいクラスメイト。もうクラス替えは無い。

辛すぎる現実が、心に刺さりました。

 

 

 

でも、このままでは終われない!

 

 

 

1年生の頃は、就職を希望していたのですが

 

2年制になって

 

この挫折を抱えたまま

 

複雑な思いで就職したくない。できない。

 

学校生活をやり直したい!と強く思うようになりました。

 

たまたまビリギャルを観たということもあり、

 

次は、ちゃんとした大学に行って、楽しんでやるぞ!

 

 

 

この挫折の悔いを晴らすため、

 

愛知県の南山大学総合政策部を熱望しました。

 

その入学金を稼ぐため、学業のさなか

 

ほぼ毎日バイトに勤しみました。

 

ですが、学校や家庭の問題は、確実に

 

私を蝕み続け、不安にかられ、孤独感を味わいました。

 

そして段々と、大学の夢は諦めかけ、冷めていきました。

 

母親は新しく家を買ったばかりで、学費を払えず

 

払ってほしくも無かったので

 

高額な学費・入学金の問題から挫折。

 

勉強のモチベーションも低下していた部分もあり

 

野次馬精神だった自分を反省し

 

自分が本当に興味のある、やりたいことを仕事にしたい。

 

そんな思いへと変わり。トライデントコンピューターという

 

CGの専門学校への進学へと変わりました。

 

専門だと、学費なども最小限に抑えられるので

 

自分で頑張ってバイトをしつつ、奨学金で乗り越えられそうだったからです。

 

そして、進学予定の学校主催のイラスト賞や、国家資格の取得などが幸いし

 

何とか、入学金30万円の免除が確実に。

 

ところが、当時の私は、荒れ放題の学校、不幸過ぎた人間関係

 

に疲労困憊し、それは自分の家族関係まで悪化するほどヒビが

 

深くなってしまいました。

 

家族と学校の間に挟まれ、身動きがとれず、居場所もなく

 

本当に苦しい毎日でした。

 

そしてついに、家族関係の修復は不可能になり、完全に崩壊。

 

入学当初は、

 

「生徒会長になりたい!」だとか

「文化祭に絵で出し物をしたい!」だとか

 

期待に胸をふくらませていましたが

 

3年後は、全く別人となりました。

 

個性は完全に学校に潰され、精神的には完全に

 

死んでいる状態で、見かけ上生きているように見えるだけ。

 

何でここにいるんだろうと、意味不明になって

 

誰もいない場所でひたすら壁を蹴って

 

ストレス解消してました。

 

 イヤな学校の後にイヤなバイト

 

変わらない、死ぬほど辛い毎日。

 

コンビニのバイト帰り

 

 

 

もう死のう。

 

 

そう思ったことは

 

今でも明確に覚えています。

 

 

本当に、2年生のこの時期は、家庭の不仲問題もありとても深刻でした。

 

何度も辞めたいと思い、母に頑張って相談したのですが。

 

「辞めてもいいけど、制服代とかどれだけかかったんか

知ってるんやろなぁ」

 

など言われ、当時見識も肩身も狭かった私は

 

辞めてはダメだと思い、どれだけ辛くても、意味が無いと思っても

 

学校に行きました。

 

学ぶためではなく

 

死ぬために学校に行ってるんじゃないかと

 

当時はよく思っていました。

 

 

それでも私は、

 

「今度の今度こそは、絶対やり直してやる!」

 

と、強い思いで進学に臨み、それだけが希望で

 

頑張っていられたのです

 

オープンキャンパスにも積極的に出向き

 

創りたい作品のプレゼンやアドバイスを頂きに

 

頑張っていました。

ですが・・

 

 

 

 

 

 

また新たな問題が浮上しました。

 

 

これ以上、この家では過ごせない

 

 

 

 3年生になると、家族関係は深刻に。

 

母は食材すら買ってくれなくなりました。

 

食器もなぜだか、私の分が無くなっていたりもしました。

 

母が帰ってくる前に、急いで食事を作って食べる毎日。 

 

小学校の頃はよく話した兄とも

 

今では顔すら合わせません。 

 

家族の、解決することのない

 

気持ちの悪い問題を抱えながら

 

自分に嘘をつきながら

 

進学先で、明るく元気に学べるとは思えない

 

状況にあると、考えたのです。

 

どうすればいいのか、考えに考えて

 

何度か母と仲直りをしようと、頑張りましたが

 

結局できませんでした。

 

専門学校へは

学費の面では、なんとかクリアしていました。

 

それでも、家族の問題にこれ以上苛まれたくなかった。

  

答えはもう、一つしかありませんでした。

 

  

 

 

 

進学を諦めて、1人暮らしをする

 

 

 

 

それは、文字通り、進学を諦め、就職して

 

生きることを意味していました。

 

私は、苦渋の決断で、家を買ってくれたばかりの母親と

 

別れることに決め、就職することになったのです。

 

 

 

 

 

 

<2度目の挫折>全てを捨てて就職する話。

 

唯一の頼みの綱も切れ、放心状態の毎日。

 

卒業間近の今年に入って

 

次第に学校も休みがちになり

 

意味のあるのか分からない毎日に

 

心臓がえぐられるような、感じたことの無い

 

不気味な不快感が、常に私をつきまとっていました。

 

 

高校生活も、家庭も、途方もないようなしがらみ

 

問題や後悔を未だに抱えながら

 

何も晴れることなく、複雑な思いで

 

卒業。

 

 

1人暮らしを始めることになりました。

 

 

 

 

 

 

 

・情報コースに入ってしまったこと

 

・進学を諦め、就職しなければならないこと

 

 

これが、私が3年間で経験した、とてつもなく大きい挫折です。

 

 

母親も、わざわざ家(マンション)を買ってくれたのに

 

このような形で別れるのは、本当に残念でなりません。 

 

内心、就職どころではないほどメンタルが傷ついていますし

 

高校も上手く行って、何のストレスもわだかまりも

 

なさそうに進学していく人を見ると、正直羨ましいです。

 

 

 

 

 

どうしてこうなったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

まさにこれだけです。

 

 

高校生活も進学も家族も

 

全てを諦め、捨てました。

 

捨てなければ、死んでしまうと思いました。

 

高校3年間で経験した挫折は

 

良くも悪くも、私にとてつもない影響を与えたと思います。

 

どもり症でバイトも苦労しましたし、

 

家庭にも大きな影響を与えました。

 

仕事にも大きく影響すると思います。

 

 

 

みなさまの高校生活はどうでしたか?

 

自分では予想もつかない、あるいはどうしようもないものを

 

持っていて、出来事があって、そのせいで人生が転落して

  

自分を卑下して、他人がやけに羨ましくなりました。

 

 

ですが、それは大きな間違いです。

 

 

羨ましいのはただの思いこみで、見えないだけで

 

人それぞれ、挫折や悩みがあるのだと思います。

 

他人が羨ましく感じるからこそ

 

私は、自分の良い所が見えなくなっているんじゃないかなぁと思います。

 

でも、他人からは自分の良い所が見えるんです。

 

不思議な話ですよね。

 

だから、挫折を経験して、自分を卑下してしまう方は

 

一度、自分の良さを一度、考えてみて

 

それを伸ばしていく。

 

何でも良いと思います。

 

絵が描けるとか、一発芸が面白いとか

優しいとか。

 

 

大事なのは、自分で自分の長所を認識できることです。

 

 

認識できなくては、何の意味もありません。

それを伸ばしていくうちに、自分に自信がついていき

 

何があったとしても

他人と比較することもなくなるのかと思います。

 

他人に、良いところを指摘してもらうのが良いかもしれません。

 

 

 

最後に

 

 

 

 

私はいつしか映画監督になりたいと

 

本気で考えています。 

 

 

それは、私は絵が描けて、壮絶な挫折、どもるというペナルティを持っている

という長所があるからです。

 

それは、他の人には無い長所です。

 

一見短所に見えるモノも、ベクトルを変えれば長所になることがあります。

もちろん反対も然りですが。

 

これらの、自分にしか無い長所を伸ばしていけば

 

きっと私は、いつしか

 

他人と比べることは無くなるでしょう。

 

 

 

                           鐘崎裕太